なんくるないさあ~沖縄旋風で初優勝   

 ことし春の選抜高校野球をテレビ観戦できたのは、“開会式の君が代斉唱”と昨日の午後決勝戦で延長となった9回以降だった。その延長12回表一挙に5点、10対5で初優勝した。この回、2失策と2四球で2点。さらに2連打と一気に攻め続けた。勝敗を決したのはやはり、守備の乱れとこれに乗じた打線の攻めだった。
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高校野球の観戦は、グランドの球児たちの一挙手一動は勿論だが、監督指導者の動きやコメントに大変興味がある。
 沖縄・興南監督の我喜屋さん(59)
まだ本土復帰前の1968年同校の主将として甲子園の夏に出て4強入りした。その後、大昭和製紙北海道白老の社会人野球に。俊足巧打内野手で鳴らし、たくぎん、電電北海道と競い、オール北海道の補強選手としてほぼ毎年後楽園球場に出場した。現役引退後は、監督に。不況の余波で、大昭和製紙・社会人野球は休部となったが、その後も白老・地元のクラブチームでやっていた。沖縄から北海道に渡り(?)野球一筋、野球で活躍し、地元で指導に当たり、不況の中でも野球を当して夢を与えてくれたと、お見受けした。
 
 2006年の夏、マークン(この愛称はプロ野球に行ってからかな)が活躍した駒澤大学苫小牧高校準優勝した同校野球部へのお手伝いもしていたという。
 
 毎年春・夏の高校野球の時期になると、自ら室蘭栄高校野球部の様々なシーンが想起される。当時の強豪だった北海高校(こことは、全道大会で完全試合を喫した)はじめ、苫小牧工業、東高校、室蘭大谷高校、様似高校などなどが、思い浮かぶ。
 そんなこともあって、甲子園の春・夏に繰り広げられる勝敗にからむ感動のシーンに、今でもテレビ観戦の最中に涙する自分に驚いている。(涙するのは加齢によるものと人はいうが、感動する繊細な柔らかな神経がいまだ健在なのだと、ひとり勝手に思っているのだが)
 それはともかく、
我喜屋監督の現役プレーは、大昭和製紙北海道の都市対抗野球を取材している。昭和40年代後半から50年前半の約8年間・景気のいい時代に北海タイムス東京支社勤務だった。44年入社した札幌本社から、苫小牧支社そして、東京赴任となったが、都市対抗野球はその時々の私に、興奮を与えてくれた。 
 我喜屋監督の言葉に・・・
なんくるないさあ=なんとかなるさ=は、いい言葉だが、それでは勝負に勝てない」
「野球は球を0.1秒でも見逃したら打てない。遅刻は厳禁」
「子供たちの可能性は、無限大。毎日生まれ変わっている」
選手たちと寮生活をしながら、見守り、野球に勝つ前に、生徒指導をし続けた。
「チャンスは必ずくる。優勝してホッとしている」
 監督の言葉に、選手らの勝負のときにみせた執念・自信=試合中にも一段と成長した姿=と同時に、監督の指導者としてのさらなる成長・円熟を見た思いがした。本当におめでとうございます。今日だけは少しの間は、ゆっくりお休み出来るんですよね。
 いまが盛りの本土の桜(沖縄とはまったく異なる風情ある桜!ですよ)を、どうぞお楽しみください。
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by iso129 | 2010-04-04 08:58 | づ・れ・づ・れ・草

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